部屋の隅

↑サン・マルコ広場の鐘楼より。あぁ、イタリアへ行きたい…(内容はイタリアと関係なし)。
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18.6.17(日) 0:05
「大勢の命を奪ったんだろう!
 36人の子どもの目に化学薬品を注入し、大半を失明させた。
 44年の夏に153人の頭を銃で吹き飛ばして殺した。解剖が目的だ。
 3組いた3つ子の1組を生きたまま解剖した。
 背が低いという理由で、子どもを1000人殺した。」

意を決する一方、それが父の犯した行為であるとは信じたくない、複雑という言葉では片付けられない心境で、父に向かって叫ぶ息子。

父は自信に満ちた瞳で、全く臆することなく答える。
「私は誰一人として殺してはいない。」と。
「弱者は淘汰される。それが自然の定めだ。我が民族の優越性の維持のため には当然の行いであったのだ。」とその行為について自責の念すら覚えていない。

アウシュビッツ収容所で収容者の生存権を支配し、「死の天使」として恐れられた医師、ヨゼフ・メンゲレ。その男と息子との対面を中心に描いた実話に基づく映画、「MY FATHER」を観た。

父が×××だったらという仮定は容易であるけれど、その仮定の下で自分は何を考え、どう行動するかを考えるのは難しい。実感が伴わず、言葉を並べただけになってしまうだろう。同じ行為を他人が犯したときに自分が思う規準を同様に当てはめることは本当にできるのだろうか?少なくともボクはできないだろう。

ヨゼフ・メンゲレは戦後南米へと逃走し、結局捕まることなく死を迎えた。
映画の中で、息子は逃亡中の父と対面するのだが、その居場所を警察に告発すべきか悩んだ末、踏み切ることができなかった。

その答えは「息子だから。」というもの。

憎悪と同時に生じる愛情のつながり。親子の関係は理屈を超えたところの特別なものであるのだということを感ぜずにはいられなかった。



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