部屋の隅

↑サン・マルコ広場の鐘楼より。あぁ、イタリアへ行きたい…(内容はイタリアと関係なし)。
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Mi fa ridere
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こんな表情を描いていると不思議と気持ちが軽くなるもので。
23:11 | 日々 | comments(4) | trackbacks(0)
私、疲れました
今週、今のところ3日連続帰宅が12時前。お昼じゃなくて夜。
別にダラダラと仕事しているわけでもなく、好き好んで残業しているわけでもないし。結局のところ、仕事量が多いのと人手不足という労働経済系の本を開けば必ず出合うこの2つのキーワードに集約される。

新規事業の展開や制度改正は現状の改善のためと考えれば否定すべきものではないけれど、それを裏で管理する立場としては正直なところ辛い。表に力を入れるのは大いに結構だけど、少しは裏にも配慮が欲しい。ある一つの仕事については、制度改正によってこれまで管理対象となる人の数が約200人であったのが今現在倍の400人に達している。今後も人数は増える見込み。

職員の数も2年前から2人減っているし、上司は若手組に仕事ふっているし。

あー、ダメダメ、ごちゃごちゃ言っても現状は変わらないし。かといって前向きにもなれないな。さて、どうしよう。「今日で仕事辞めます」と言ってみるのはどうか?というのは父の案。なんちゅうことを勧めるのかと思いはしたものの、下手に励まされるよりはいい。さぁ、ほんとにどうしようかね。

とりあえずはこんなことを考えながら自分の気持ちと折り合いをつけて日々乗り越えていくしかないのかな。

あぁ、なんか内容暗い…。
01:17 | 日々 | comments(0) | trackbacks(1)
勘弁だ
金曜日。課の親睦会。

気の荒い大人とお酒の席を共にするのは苦痛以外の何ものでもない。
色々と聞いてくるのだけれど、その口調が尋問めいていて(実際に尋問を受けたことはないからあくまでイメージだけど)、彼らが望む答えをしなければ満足しないといった具合だ。もう馬鹿らしくなってきて、本当の返事(質問に対する真実の答え)はしないことに。なぜなら、まともに答えるのが疲れることばっかり聞いてくる。

例えば、
「早く帰った日は恋人と何してるんや?」とか、
「あの女の子とはどうなってんのや?」とか、
勝手に話が出来上がっていて、あれこれ言ってくるもんだから。

で、適当に答えると、
「本当やな?」と迫ってくる。
「はぁ、ほんまです。でもまぁ、ボク、ポーカーフェイスですから、嘘も言いますけど。」と真顔で答えると、
「甘い甘い、まだまだ若造や。嘘ついとったらそんなもんすぐ分かるんや。そんなんポーカーフェイスって言わへんで。甘いわ。」と続けてくる。

はぁー、もうウンザリだ。
職場に同年代がいればなーって近頃よく思う。
11:39 | 日々 | comments(5) | trackbacks(0)
18.6.23(金) 1:07
月刊「むし」をご存知だろうか?
まるで自分がそれについて詳しいかのような書きぶりだが、知ったのは今日(6月22日(木))のお昼のことだ。

昼休み、気分転換のため本屋に行ったことがボクに転機をもたらした(嘘)。本屋に行ったときの自分の行動を思い浮かべてみると、雑誌(音楽・服)→新書→文庫のお決まりのパターンが出来上がっていることに気づく。

しかし、今日に限っては時間が十分になかったことと、あれこれ回る気力がなかったため、入り口に近い趣味・生活系雑誌のコーナーのお世話に。で、こう何気なーく雑誌を眺めているときに目に飛び込んできたのが例のモノな
わけだ。

自分とは疎遠な世界があると常々頭では理解していても、いざ現実に接すると驚きは隠せない。一体中身はどんなものなのかと思いながら手に取り開いてみる。最初のページに全てが凝縮されいるはずだと考え開いてみたところ、「今週のひと」というちょっとした記事があるだけで、さしたる衝撃はない。ふ〜んと思いながらページをめくっていくと、やっぱり出てきた、普通に生きていたら決して出合うことのない虫達の紹介。一度読んだだけではその名前を覚えることはほぼ不可能。読む気すら失せる。

で、飛んで編集後記へ。

「コロコロと天気が変わりやすい季節になり、採集スケジュールも立てにくく、困ったものです・・・云々」

「先日、某山へハイキングに出かけ、山頂でお昼ご飯を食べていたその時、突如うっそうと茂る木々の中から人が現れました。なんとその手には採集用のアミが。思わず『採集の方ですかっ?』と声を掛けてしまいました。私も早く採集へと出かけないと!・・・云々」

個人的にこの雑誌のないように興味はないが、それでもこの雑誌を作っている人は虫が好きで好きで仕方ないのだろう。そういった情熱のようなものは伝わってきた。それが少しうらやましくもあったりする。

01:07 | 日々 | comments(0) | trackbacks(0)
18.6.16(金) 00:58
朝の通勤電車。
いつものようにイタリア語の勉強。今は関係代名詞だ。「che(ケ)」を使って複数の文を一つにする。
例えば、
「私はイタリアで靴を買った。普段それを履く。」という文を関係代名詞を使って書くと、
「Di solito(普段) mi metto(履く) le scarpe(その靴) che ho comprato(買った) in Italia(イタリアで)」となる。はい、復習。

勉強してると、隣のおばさんから幼稚園の頃の記憶を呼び起こす香水のいい香りが漂ってきた。いいセンスだなと思ってふぅーっと気を緩めていると、
「What language are you studying?」ときた。

ビックリして、「I'm studying l'italiano」って英語とイタリア語混じりで返事。それでも通じるもの。

カタコト英語で「日本人かとおもいましたよ。」と言うと、「違う違う、インドネシア人よ。」と彼女。どうしてイタリア語を勉強しているのか聞かれ、一度訪れたときの街の美しさに惚れ、いつかまた訪れたいと思っていると答え、今度はこっちから質問だ。それ。

日本には長くいるのか聞くと、今回が初めての訪日とのこと。よって日本語は話せず、現在勉強中らしい。仕事で今回は来たとのこと。それにしても、いや当然のごとく英語を流暢に話す彼女に、インドネシアの人は英語を話すのか聞いてみたら、向こうでは外国の会社が多く、必然的に英語を使う環境にあるのだと話してくれた。

聞き取れない箇所もありながら、臆することなく接することができた自分に乾杯。

別れ際に、「勉強を続けて、イタリアに行けることを願ってるわ。いい一日を。」と言って電車を降りた彼女。ホームを歩きながら、ニコリとこっちを見て微笑んでくれた。

憂鬱な朝が、些細なことで気持ちのいい朝になった。


00:58 | 日々 | comments(2) | trackbacks(0)
18.6.4(日) 19:48
今、パソコンの前に座りながら、金曜日の夜を思い返している。
一週間の仕事を終えホッとした気持ちに浸りながら、明日は岡山へ行ってフットサルをして、その後は友達と歓談して・・・と、そんなことを考えている心持ちは軽やかだった。実際、土曜日に岡山へ行く道中も途中までは職場への道をなぞるにも係わらず、足取り、気持ちは普段と大きく違った。バスに乗る、電車に乗るという行為自体は普段と同じであるわけだから、やはり気持ちが大きく関係しているわけだろう。普段バス、電車に乗っているときは、基本的には勉強をしているから、あまり色々なことを考えるわけではないけど、「あぁ、仕事に行きたくない、嫌だ」という気持ちが強い。嫌だ、嫌だと思い、余計に嫌になる悪循環。だからといって、「こういう時期を乗り越えた君は一回りも二回りも・・・云々」という言葉を鵜呑みにもできない。嫌であることもまた現実だから。いや、どうなんだろう。嫌であるということは果たして現実なのか、観念なのか?そんな二者択一の問題では片付けられないのか。思考(と呼べるまでもないが)は巡り巡って禅問答(それほど崇高でもない)。そんなことを考え、結局は気を紛らわしているに過ぎない自分に気づく。気づくというより、気を紛らわすことにしかならないことを承知の上でそうする。気持ちを強く、気持ちを変えずに、そんな言葉は言葉として認識していても、自分の実感としてはまだ掴めるところにはないように感じる。
19:48 | 日々 | comments(4) | trackbacks(0)
書くことについて
一時的な思念やじっくりと腰を据えて書き綴りたいことなど、書きたいと思うことは多々あるわけです。それは必ずしもこの場だけのことではなく、ノートになぐり書きをする、そういったことも含めてです。ここしばらくの間、パソコンの前に座り、様々な内容のことを書きながら、途中でそれを全て消すということを繰り返していました。とは言っても、よく作家が紙に書いてはそれをクシャクシャに丸めて後方に投げ捨てる、そんな高貴な行為ではありません。では一体なぜ書いては消すということを繰り返していたのか?何なんでしょうね、自分でも分かりません。と言ってしまってはお仕舞いですから少し、そう、ほんの少し立ち入って考えてみましょうか。

まず書くということに十分な時間を割くことができないということが挙げられます。それは実際問題としての時間の少なさであり、それに伴う書くということに対する気力の低下も招きました。ひょっとすると、書くことに対する欲求が中途半端なものであったとも言えるでしょう。いや、しかし書きたい欲求はあったのです。書き始めはするものの、時間のなさから文章を完結させることが出来ず、一度で書き上げたいという点に何故かこだわりを持つゆえ、途中まで書いては消すということを繰り返していました。
もう一つの大きな理由は、あまりに統一感のない内容であったことですかね。思いのまま書きながら結局何を書いているのか分からなくなるということが多々ありました。今書いていることも、まぁ見事になんだこれ?っていう内容ですが、ま、こんなことばかり書いては消しということを繰り返していました。「書くという行為は論理的というよりは倫理的な行為である」という言葉が頭の中を巡るわけですが、確かに書くという行為は不思議です。そもそも書くことの意味は・・・って感じで続けていきたいところですが、眠たくなってきました。今日は消さずにこのままで。
00:18 | 日々 | comments(7) | trackbacks(0)
綿毛になりたい
就職して3年以内に辞める人が約3割といいますが、忍耐力の無さということでは簡単に片付けられないように思えます。課せられたノルマや長時間労働、休日返上などなど。そして、これから先会社が、自分自身の身分が、どうなっていくか分からないことへの暗澹たる気持ち。やはり個人的な問題として片付けれることではないと思います。

例えば今週の自分の仕事を振り返ってみます。ノルマがないのが一般的な会社に比べると恵まれているのかもしれません。ただし、長時間労働は気分が萎えます。自分の手帳に記した残業終了の時間は次のとおりです。
月曜日 9時半  火曜日 10時半  水曜日 親睦会(退屈)  木曜日 10時半  金曜日 10時  と、まぁ嫌になりますよ。この時間から約1時間かけて帰るわけですから。
世の中には、こんなのそれほどでないと思う人も多々いるでしょう。しかし、冷静に考えてみれば、なんて不健康な生活なのでしょうか。今は実家で生活してますが、たまに思うものです。普通に7時か8時に帰ってきて、晩ご飯を囲んで食べる、そんな当たり前の生活がしたいものだと。
ま、今は耐え時だと自分に言い聞かせるのみです。でもですねー、言い聞かせようとしても、私なかなか納得できないんですね。さてさて、どうなっていくのでしょうか。働くことではなく、働き方が嫌で仕方ないといったところです。

ま、こんな生活だからこそ、小さな楽しみを創出していかないといけません。

明日は井上陽水のコンサートです。いぇい。
12:34 | 日々 | comments(5) | trackbacks(0)
食育について
教育も多岐にわたるものでして、「食育」なんてのもその一つです。
が、その内容といえば、地元で生産したものを使うことであったり、云々。

そんなことの前に、早く帰って家族でご飯食べなさいよ!
そこからでしょっ!!
って思うのです。


00:15 | 日々 | comments(3) | trackbacks(0)
矢沢永吉語録
NHKつけてたら彼が出てました。
で、熱く語ってました。

「正しいと思えば借金してでも使ってしまえばいいんだよ!」

「毎日がグラグラよー!」

あぁ、矢沢様・・・。
00:43 | 日々 | comments(6) | trackbacks(2)