部屋の隅

↑サン・マルコ広場の鐘楼より。あぁ、イタリアへ行きたい…(内容はイタリアと関係なし)。
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帰り
こんな調子でほてほて〜っとしているともう夕方近くに。
鎌倉といえば鳩サブレーなわけで、本店で購入した後、東京へ戻る。
友達の恋人も呼んで、早めの晩ご飯を共にする。みんなそれぞれの地でそれぞれの生活を送っているわけだ。たまにはこういう時間もいいもんだなと感じつつも、かつてのようにみんなが一堂に会するということは難しくなってきたことも確かだ。
東京駅で見送られる形になったけれど、ああいうとき、どのタイミングでどうやって出発したらいいものか、悩みどころである。いや、別にそのまま行きゃいいんだけど。で、「涙出そうやわ」って冗談かまして出発。そのあたり、複雑な心境ですな。

羽田からの飛行機が飛び立って間もなく、窓から花火大会の様子を目にすることができた。飛行機から花火を見るなんて、そう滅多とない機会ですよ、ほんとに。

生きてりゃ、たまにはいいことあるよね。
12:00 | 散策 | comments(7) | trackbacks(135)
眺めよし・鶴岡八幡宮
まっすぐに伸びた参道、その向こうに佇む鶴岡八幡宮。
住みたいな。
11:37 | 散策 | comments(1) | trackbacks(0)
実朝と政子と寿福寺と左足
源実朝と北条政子の墓は寿福寺の脇の小道を上っていったやぐら群の中にある。とはいえ、果たして本当の墓かどうかは確かではなく、彼らの墓とされていると看板にもある。本当じゃなかったらどうというわけでもないが。
やぐらとは丘陵に横穴を掘って作った墓窟のことで、生活に身近な場所に多数見られる。中にはガレージ代わりに使っている人もいるらしい。山と海に囲まれた鎌倉の土地面積の狭さ、町中に墓を立てることが禁止されたことなどに起因するみたいである。
やぐらの内部はどことなく陰鬱な雰囲気があって、近づき難い。恐る恐る内部を覗いていると、後ろから友達が木の実を投げてきて、「ギャァーッ」って。罰当たりなことで。

寿福寺は総門から続く石畳の向こうにある中門内部に佇んでいる。この総門をくぐるときは左足からというのが正しいようである。総門の内部と外部はあの世とこの世であり、総門はその境界らしい。なぜ左足からかといったあたり、確かな事情を知らないが、右足からくぐろうとした友は近くにいた婆さんに、「あんた、死にたいんかっ!」と怒られたらしい。

11:19 | 散策 | comments(0) | trackbacks(0)
生活圏
お昼ごはんは観光地ではなく、昔からあるという喫茶店で3人仲良くハヤシライス。
僕は観光地から外れて一歩入った日常の空間が好きだ。
そういえば、氷を売るお店が今でもあったので驚いた。駄菓子屋もあったりといい雰囲気が感じられてのほほんとした気持ちになった。


20:46 | 散策 | comments(2) | trackbacks(0)
長谷寺へ
次いで長谷寺へと足を延ばす。と言っても、長谷寺がどういうお寺か全く知らない。「長谷寺…奈良じゃなかったけ…?」と思うくらい。が、この思い、全く的外れでもなかった。どういうことかは後ほど。

階段を登っていくと正面に観音堂があるので早速入ってみる。すると、まぁ大きな観音像が祀られている。大きさに圧倒されるという点では、先ほどの大仏以上だ。よく見てみると観音様の頭に複数の顔がある。このあたり、知識の無さがなんとも悔やまれるところである。「なんだか阿修羅マンみたい」っていう口に出せない感想しかなかったもの、その時は。
長谷寺の敷地は高台にあって、そこから鎌倉の町を一望することができる。この日はあいにく曇り空で空気もかすんでいたため、景色を堪能することは叶わなかったが、これはまたおいでということなのだろう。

さて、お寺巡りをもう少し味のあるものにするためには、その方面について多少の知識は持っておいた方がいいだろうということで、神戸に帰ってから鎌倉のお寺等についてまとめた本を購入。
どうやら奈良の長谷寺との関係は次のようなものである。

その昔、徳道上人が一木から二体の観音像を刻む。この内一体を祀り、奈良の初瀬に長谷寺を創建。もう一体を海に流す。どこか縁のある土地で衆生を救ってくれるようにと願いをこめて。上人、ロマンチストである。十余年の後、三浦郡は長井浜に漂着、長谷の地に移され、長谷寺が建立されたというわけだ。こういった縁起があるのを知ったとき、なんだか嬉しくなったのはなぜだろう。

帰ってからしみじみと味わいが生じた長谷寺である。
20:36 | 散策 | comments(0) | trackbacks(1)
高徳院・鎌倉大仏
鎌倉という言葉から思い浮かぶのは大仏。

大仏といえば奈良か鎌倉。同じくらい有名であるのに、鎌倉の大仏は起源やその他諸々については知られていない。そんな(どんな?)現代の歴史教育なんてどこ吹く風、大仏は今日も鎮座。元々木造であったが銅像となり、大仏殿があったのに暴風雨や津波で消失、露座となっても変わらぬ姿で鎮座。江戸時代には「濡れ仏」というセクシー感漂う名で呼ばれることもあったが、セクシー感など皆無で鎮座。露座なら外からも見えないかと思うところだけれど、地元在住ガイド、コバンザメさん曰く、拝観料を取るために周囲の木々は切らず、外からは見えないようにしているらしく、確かに中に入って初めて姿を拝めるようになっている。

実際に目にしてみると考えていた大きさよりも小さく、少し拍子抜けもしたしたが、それも実際目にしたからこそ。見もしないのに、観光地の名所なんて大したことないと思っていた時期もあったけど、近年は何でも目にしたくなった。百聞は…ってやつですな。
さて、訪れた人は大仏の中に入ることができるので、若人3人もそれにならう。中に入ると操縦席のようなものがあって、スイッチをいれレバーを動かすと連動して大仏も動くわけはなく、八層の鋳造の継ぎ足し部分が見ることができるくらい。大仏の目から外を眺めることができるわけでもない。
「響く、響く」と言って大仏の内部を叩く友。ストレス溜まってんのかなー。

最後は大仏前でハイ、チーズ。
12:01 | 散策 | comments(1) | trackbacks(0)
いざ鎌倉へ
集合は鎌倉駅。
上野駅から1時間と少し、電車に揺られる。東京も都心部を離れると風景も一変。一体どこを走っているのか、どこか不思議なのほほんとした気持ちになりつつも、BGMはthe Ronelles、爽快だ。

鎌倉に近くなると、風景に落ち着きが加わる。「好きだなー、こういう場所」と思うのと同時に懐かしい感じがする。どことなく幼い頃に暮らしていた大阪の土地に似ている。

さぁ、着いた、鎌倉。
さて、改札は二つあると聞いていたけど、おそらくこっちだろう。と適当に判断して改札前で友達と待ち合わせ。今日は三人で行動予定。一人の友達とは昨年のフジロックを共に過ごしたので1年ぶりの再会、もう一人の友達とは2年ぶりの再会。平静を装いながら駅前で案内看板を見ていると、コツコツと背中を叩かれる。振り向くと、おぉ、2年ぶり。すっかりサラリーマンヘアーになっちゃって。嬉しさやら懐かしさやら、何だか笑いがこみあげる。もう一人、コバンザメさんはすでに到着済みで喫茶店でお待ち。会ってしまうと何だかそれが当たり前のようにも思える。

さぁ、出発しましょう。
23:08 | 散策 | comments(0) | trackbacks(0)
上野がわりと好き
7月16日(日)

東京に行った時には上野のカプセルホテルに泊まるのが常だ。値段が安いこともあるし、施設の充実ぶりも良い。あちらこちらから豪快ないびきが聞こえてくるのも男の館っぽくていい。いや、これは嘘だ。

泊まった翌朝は早く起きて上野公園を散歩するのが気持ちいい。
これほどの蓮を目にしたのは初めてかな。見事。


22:03 | 散策 | comments(0) | trackbacks(1)
疲れるときもありますわね
改札前でティッシュ配る光景。
ちょっと様子を眺めてみる。
手持ちティッシュを配り終えて補充へ向かうときの気だるそうな足取り、姿勢、表情。
そんなメイドさんの姿が何とも印象に残った秋葉原。
20:37 | 散策 | comments(2) | trackbacks(0)
接触
とりあえず中央線に乗って飯田橋で下車。東京は慣れていないだけあって、方角が把握できない。所々で街の地図を確認しながらイタリア文化会館を目指して歩く。この日は猛暑。汗が止まらない。どこかで一息と思うときに限ってお店がない。なんとか靖国神社前までたどりつき、喫茶店で休憩。靖国神社入り口を眺めながらの休憩。
さて、お店を出てイタリア文化会館に到着。この日は講演会などのイベントをしているという情報をつかんでいたので訪れたわけだけれど、時間はちょうどお昼時。展示物だけでも見て帰ろうと書籍などを見ていると、「Buongiorno!」とイタリア人。不意打ちにたじろぎ、「こんにちわー」とご挨拶。普段勉強しているのは何なんだと喪失感に包まれる。まぁいい、今日は日本語で。するとイタリア人、関西弁使うじゃない。やはり言葉は使って身に付けていくもの。見習わなければなりませんな。勉強方法などについていろいろ話していると、別のイタリア人(女性)が急に「カワイイ顔ですね」ときた。この一言でイタリアでも通用すると確かな手ごたえを得たのです。
「Arrivederci,a presto!!」
00:02 | 散策 | comments(0) | trackbacks(0)